今年もありがとうございました。年末のニュースで思ったこと

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クリスマスが終わり、年末モード一色。あと2日で2017年も終わり。

子どもたちはサンタさんからもらったゲームやおもちゃで遊んだり、ちょっとした美味しいものを家族で食べたり、暖かい布団で一緒に寝たり。

毎日のたわいもないことが幸せを感じる、というか、幸せを感じないくらいたわいもないことの積み重ねが幸せの本質なのかもしれない。

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私は子どもを寝かしつけた後、布団に入りながらYahoo!のニュースアプリを一通り見る癖がいつからかついていて、こんな世間が浮かれ気味の年末でも目につくのが、
子どもが虐待で亡くなってしまったり、自分で死を選んでしまうほど追い詰められたり、海外のある場所では日本では当たり前の安全が無くて常に死と隣り合わせのような生活を強いられている人がたくさんいるというニュース。

クリスマスで何のお祝いかわからないけど、みんなで一緒に些細なご馳走やケーキを食べる時も、夜、子どもの暖かさを感じながら寝る時も、どこかで、そういった楽しみとか安らぎを知ることなく、不安で悲しい気持ちで過ごしている子どもがいるのだと思うと切なくなる。

所詮、それらは他人事で、自分以外の家庭や場所のことは知るよしも無いこと。

だけど、自分の子と同じような年齢の子どもが不幸になっているニュースを見るのはただ辛い気持ちになる。

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子どもは、親を選べない。
悲しい思いをしている子どもの親も、小さい頃同じようなことを親にされてきたのだと思う。

子どもにとっては親が世界のほぼ100%を占めていて(幼稚園や保育園に行っていても)、結局は逃げ場なんて家や親以外は無い。

子どもは、親がどれだけ疲れていても、場所や時間なんてお構いなしに、ぐずる時もあるし、意味の無い(親にとってはだけど)こだわりで腹が立つこともあるけど、それが子どもというものなんだと、どこかでわかっていなくちゃいけない。ある意味、それは諦めるしか無いと思う。

年齢にもよるだろうけど、3歳の子に夜だからさっさと寝ろと言っても1人で寝られる子はそうそういないし、ちょっと家事するから今は相手出来ないといってもすぐに理解できるわけではない。

ここに書いてもどうしようも無いのだけど、何と言うか、子どもが親の手で不幸になってしまうのがただ切なくて書きたくなった。

今日読んだこのブログ。
この話は、会社の中でのことだけど、いろんな場面で応用が効く気がする。

全然、話の次元が違うかもしれないけど、私が今できるのは、これからも今までのように、1人の人として自分の子どもを可愛がることだと思う。
可愛がるってなんか変な言葉だけど、とにかく今は、可愛いから可愛がる(私なりのやり方だけど)でいいんだと思う。

そしたら、きっと私の子どもたちが大人になって、もし子どもを持ったときや、友達に子どもが出来た時、同じように可愛がってくれるんじゃないかな。
そうすれば、その子どもの子どももきっと子どもを可愛がる(どんなけ子ども言うねん)。
そう願いたい。

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今年も一年ありがとうございました

多分、これが今年最後のモリコログです。
今年も1年ありがとうございました。

去年の今頃は、家族で丹波に移住体験していたと、facebookやGoogleフォトで自動的にお知らせしてくれて、ああ、あの時からもう一年、いやまだ一年?という感じ。

宝塚のコワーキングスペースは結局まだ物件探し中です。。
商工会議所などのセミナールームを借りて、毎月定期的なセミナーをするというところから初めても良い気がするのだけど。

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ちなみに今年、自分自身が一番成長を感じたことは、聞かれてないけど書いておくと、「1人で車に乗れるようになった」ことです。(爆)

車に乗れる人にとっては、「何を今さら」ということかもしれませんが、独立して仕事するよりも、たくさんの課題が出てくるデザイン制作よりも、「車を1人で乗る」ということの方がマジで命に関わるので(大真面目)、私にとってはよっぽど難しいことでした。
仕事で失敗して自分の意思に反して死ぬことは無いけど、車の運転は下手したら自分が死ぬかもしれないし、相手も巻き込むというのが恐ろしい。。

ただ、乗れると言っても、宝塚市内の行き慣れた道やスーパー限定で、まだまだ駐車は超慎重にやっています。子どもは基本乗せません(全然乗れるレベルじゃないやん、というツッコミはしないでください。涙)

ここまでたわいもない文章を読んでいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。


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