東日本大震災から7年。
7年前の今日、私は会社員で神戸のビルで仕事をしていた。
その時間、ドン!と振動が来たあと、ぐらぐらと長い時間揺れて、ビルが揺れているのか自分が揺れているのかわからないくらい長い時間だった。
近くの席の男の子が、「これやばいっす、東北やばい」と パソコンで検索した震度別で色塗られた日本地図が映ったモニターを見せてくれた。
ツイッターでは、いつもお世話になっている仙台でリモートワークしているWEBデザイナーさんが「私、○○(子どもさんのお名前)、無事です!」といったつぶやきが目に入って、どうやらこれはただ事では無いのだと思った。
すぐに気になったのは、地元駅前の保育園にあずけている当時3歳の長男のこと。
すぐにでも飛んで様子を見に帰りたかったし、上司も「帰らなくて大丈夫?」と声をかけてくれたけど、その頃時短で働いており16時の定時まであと1時間あまり。
自分だけ帰るなんて出来ず、定時まではいたけれど、気が気でなかった。
怖い思いをしていないか、泣いてないか。園はマンション下の建物の3階にあるけど、揺れてないか、など・・・。
16時になった瞬間、事務所から出て、ダッシュで保育園に向かった。
勤めていた会社から保育園まで、電車と徒歩で最短でおよそ40分ほど。
園に着くと、いつも通りの風景で、
先生が、「園にお母さん方から、電話が何本かあったんですけど、園は全然揺れなかったんですよ」とのこと。
息子もとくに変わった様子がなくほっと一息。
本当にほっとしたな。
帰宅途中にある携帯ショップ前のテレビで、東北の津波の様子が流れていた。
現実とは到底思えない風景が映し出されていた。
息子と2人その画面を見つめていたことがつい最近のように思える。
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この震災で、私の価値観がガラリと変わったと思う。
いや、変わったというより、もともと心の奥にあった価値観が、表面に出てきたという感じかもしれない。
この先、会社員として仕事を続けて、子どもとの時間を削っていいのか、このままの働き方で10年後、本当に幸せを感じられるのか。
震災があって、私は働き方を変えたいと思って、実際変えて今にいたる。
そして、そのあと当時は想像していなかったけど、夫も独立にいたり、WEB制作という仕事で家族4人で暮らしている。
今日は大きな公園に家族で外遊びを久しぶりにしてきた。
暖かくなってきたとはいえ、外で食べるお寿司とたこ焼き(スーパーで購入)は美味しかったっけど、まだまだ寒かったな。。。
普段忘れがちだけど、何ともない日常が愛おしく思えた。
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あれから7年。
それぞれの思いや経験があるはず。
私たちは、WEB制作で個人や企業を応援することで、未来の働き方を少しずつでも良い方向に進むよう願っています。