小学校3年生の長男の参観日に行ってきた。
小3最後の参観日。
いつもより、息子からの参観日へのお誘いが強めで(いつも欠かさず行ってるんですが)
「こないとそんする!このさんかん日はさい後なので、見のがさずに!」とお手紙をくれた。
参観日の内容は、普段の授業参観ではなくて、発表会のような催しだった。
班に分かれて1年間の思い出を寸劇で発表したり、クラスのみんなや親への感謝へのメッセージ、最後はリコーダーと歌の演奏。
いやー、息子はじめ子どもたちみんな成長を感じられた参観日だった。
寸劇の内容も子ども自身で考えて、段取りや動きも子どもたちで考えたらしい。
3分程度の寸劇なので、オチが無かったりしたけれど(オチを望んですみません)、でもそれぞれ班ごとにとても面白く、わかりやすくしようとする工夫が感じられて、微笑ましかったし感心させられた。
クラスのみんなと親へのメッセージは、黒板の前で1人ずつ、はきはきと大きな声で生き生きして発表していたのは胸が打たれた。。
言わされているのではなく、自分の思ったことを自信を持って、時々止まることもあっても、飾らず一生懸命発表していた。
子どもたちのまっすぐな気持ちがすごく伝わる発表だった。
人前で大きな声で発表するのって、大人でも難しいと思うのに、よくここまで全員が出来るようになったなと感動すると共に、子どもたちの練習の成果はもちろんだけど、担任の先生の影響もかなりあるのだと思う。
今の担任は、ちょうど私と同じ世代のアラフォーの女の先生。
ぱっと見は、怖そうで厳しそう、、、というイメージだけど、授業を見ると子どもが大好きなんだとひしひしと伝わってくる。でも、手取り足とりで熱い授業をするのではなくて、授業の方向だけを示して、後はほとんど生徒たちにお任せな感じ。
発表する人も、前に当てられた人が次の人を当てていくというスタイル(当てられた回数を指で表示しながら手を挙げるので、当てられた回数が少ない子を優先的に当てるというなんとも合理的なスタイル)で、良い意味で子どもたちが授業を回している感じがする。
このスタイル、私は今まで見たことなかったけど、とっても良いスタイルだな〜と思う。子どもたちが積極的に手を挙げたくなる授業になってるから、このスタイルで進められるんだろうな。
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で、話は戻して。
この参観日を見て、子どもの成長って、環境によってぐんぐん伸びるということとは何となくわかるのだけど、成長って、「本来の自分を臆する事なく出せるようになること」なんじゃないかと感じた。
2歳くらいまでは、きっと臆する事なく、本能で自分を出しているのだろうけど、3歳くらいから今の自分では出来ない事がわかってきたり、他の誰かと比べたりして(これももちろん成長なんだけど)、それが小学生にもなると、算数が得意だ苦手だ、漢字を書くのが好きだ嫌いだとか、個性が出てくるわけで。
そうこうしているうちに、大人になって、自分をある程度いい感じに、こんな程度だと飾れるようになり、みんながやってるから私もこの程度で落ち着こう、みたいな。
みんなそこまでやってないやん、やっても結果どうなるわけでもないだろうし。。。みたいな。
・・・そして成長は止まる。
成長とは何ぞや?それって必要なのか?という人もいるかもしれないけど、生きている限り、成長なくして安泰はない気がする。
「このままでいい」というのは、変化し続ける社会の中では停滞どころか、退化し続けることを意味する。(なんか聞いたことのあるフレーズ)
例えば、3年間何もしなかった人と、3年間何少しずつでも何か行動した人とでは、絶対結果は変わってくる。
人によって成長の意味や内容は違うだろうけど、きっと「成長」は自分がしたいと思った事が少しずつ出来るようになることが成長なんだと思う。
本来の自分を臆する事なく出している人、出そうとしている人が、人生楽しんでいる人なのだろうなと 、息子の参観日からえらい話が飛躍したけど、そう感じたのでした。
1人1人の発表がとても個性的で生き生きとしていて、クラス全員28人最初から最後まで気持ちが伝わってきて、退屈にならなかったな。
こんな素敵な参観日、皆のパパにも見せてあげたい。
うちは仕事が在宅なので都合つけて旦那も来ましたが、やはり圧倒的にパパ率が低い……
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こんな内容を書くつもりはなかったのだけど、たまにはいいよね。このブログのテーマ「ありのまま生きるを考える」に沿った記事になったということで。