夏休みもようやく終盤。
明日から、次男の幼稚園は夏季保育という名の、登園が始まります。
去年、一昨年は、次男は保育園に通っており、長期の夏休みは無かったので(それでもだいぶ休ませていた方だと思うけれど)、夫含め家族4人で本当にがっつり夏休みを今年は過ごしました。
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今年は、自分で言うのも何ですが、子どもを連れて家族で遊びまくった気もします。
(全然遠出はしてませんが)
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2年前、こんなブログを書いていました。
当時はまだ次男も1歳で手がかるし、夫も独立してまだ1年経ってなくて、まだスケジュール管理がうまくできていないかったのもあり(今も出来ているのか?)、なんとなく夏休みも家で仕事ばかりしていた気が。
せっかく、夫婦で独立して自宅で仕事が出来ているんだから、スケジュール調整して、長男の小学校の夏休みに、どこか行きたいと思っていたけど、結局、混んでるだの暑いだの、お金がかかるだの、前もって計画を立てるのが苦手な我が家は旅行さえ行けず。
会社員時代みたいに、「この連休にに有給プラスして、この日に旅行行かないと!」と決まった日がなくて、いざいつでも行っても良いとなると、いつまでも計画なんて立てないんですよね。。
夏休みだから、旅行とかキャンプに行かないといけないという思い込み
Yahoo!ニュースにこんな記事がありました。
夏休み。ちょっとお疲れのお母さん、お父さんへ。:子供には退屈も必要。
親はみんな、せっかくの夏休みくらい、子どもをどこかに連れて行ってあげたい。
友達は、どこどこに旅行に行くって行ってたな、とか、お盆にテレビを見たら、みんな海外旅行に行っている錯覚に陥ります(笑)。
共働きだと、子どもは、保育園や学童とかで夏休みも実質お盆休みくらいだったりする。
私が子どもの頃の夏休みは、ほとんどテレビを見ていた
私が子どもの頃の話になるけれど、旅行やプール、海水浴とかになんて連れて行ってもらったことなんてほとんどなくて、そういった家族でお出かけ〜みたいなのが、ほぼ無かった家族でした。
とくに父親は仕事に忙しかったのか、「大阪の花博」にも母と弟3人で行った記憶はある。
で、多分、私が小学校4.5年生くらい時のことだったと思うのだけど、夏休みの宿題で、1日どんな生活を送ったかタイムスケジュールみたいなのを毎日書く宿題があって、私は律儀だったので(自分で言う)、毎日、何時から何時までは、睡眠、テレビ、ご飯などとタイムスケジュールを、色や模様で色鉛筆で綺麗に塗って始業式の日に持って言った。
すると、そのタイムスケジュール表が、あまりに毎日テレビを見る時間が長かったので、担任の先生に心配されて声をかけてもらった記憶がある(笑)。
おそらく、ご飯、寝る、お風呂、宿題以外はテレビがほとんどだったのかもしれない。
友達とも少しは遊んでいたかもしれないけど、わざわざ約束してまで、といった感じだった気もする。
世間一般的では当然みたいな、「お盆の実家まわり」も、私の両親は実親とほとんど交流が無かったため(仲が悪い訳では無いと思うけど)、ほとんど、おじいちゃん、おばちゃんという存在を知らずに育った。
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こうやって書くと、なんて可哀想な夏休み、みたいに思う人もいるかもしれないけど、私本人は全然そうは思っていなくて、むしろ新聞の裏面のテレビ欄を見て、全チャンネルの1日中のテレビを見ることは出来ないのか?なんて思ってこともある。
(そういえば、大学4回生の就職活動のころ、テレビの制作会社を何社も受けたっけ。。。)
逆に、友達の家に遊びに行ったとき、「明日からキャンプやねん」と、大きなリュックやカップ麺が大量に置かれているのを見た時、その荷物の多さを見て、キャンプなんて面倒くさそう、と心の中で思ったりもした。
退屈という時間も大切
何が言いたいかと言うと、上のYahoo!のニュースの記事にあったように、退屈だったからといって別に悪いわけじゃないということ。
私が思うのは、超がつくほど小学生の頭が柔らかい時期に、習い事や学童のような自動的に決められたような予定で、毎日いっぱいになり、それが当たり前になってしまった結果、大人になった時に自分で何がしたいかわからなくなる方が、よっぽど悪影響な気がする。
多分、そういう子どもの頃の生活環境って、自立して大人になっても変わらなくて、「予定が入っていないと不安」とか「与えられることは完璧にできるけど、自分でゼロからやることが思いつかない」とか「誰かと一緒じゃなきゃ、落ち着かない」とか、そういう思考で物事を判断しちゃうのかもしれない。
と言いつつ、世界に飛び出すような子だちは、毎日同じ練習や訓練、勉強とかを繰り返して、それに結果が付いてくるのだろうから、そういうのを目指すのなら、毎日決められたことをまずはこなさないといけないんだとも思う。
やることが決められているのは、楽だよという話
「退屈=つまんない」
では無いと思う。
ぼーっとする時間があるから、新しいことを始められるし、前から気になっていたことも始められる。
誘われるままに遊びに行くのもいいし、一人で家で過ごすことも、とっても大切な時間だ。
退屈な時間があるというのは、自分(の責任)で何をしても良いということ。
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長男の夏休みの残りの宿題、「人権作文」と「自由研究」。
何を書いても、しても良いから、取りかかれないでいるよう。
テンプレートがあったり、答えが一つだったら、楽だけど、そうもいかない。
けれど、やりゃあ終わりだし、私だって手伝ってあげられる。
夫婦で独立して思うのは、誰かに指示されて仕事をされたり、やることが決められているのは、とっても楽で、反対に、自分の責任で話したり、やるやらないと決断するのは本当に労力がかかるということ。
やるかやらないかと決めて、やるときの労力は、大変なものだと思う。(夫婦2人だから、ぽぽいって出来ることもあるけど)
でもその分、達成感も充実度もあるし、報酬もおのずと付いてくる(はず)。
締まりがあまりない文章ですが、ツラツラ久しぶりにお出かけネタ以外を書きました。
ちょとした報告
モリコログが、月間4万ビューを超えていました!主にプールネタで。笑
もっと、バリバリブログを成長させるか、いやいや他のWEB業を充実させるか、悩むところです。
でも、とりあえず、書きたいときに書きたいことを書いていこうと思います。