1998年のバックパッカー旅行記「チベット編」

ちょっと離れてポタラ宮

先日、母校の大学の生徒さんから取材を受ける機会があり、私が大学だった頃の話をした際、バックパッカーでアジアで1人旅をしていたという話をすると、その時の写真は無いかと聞かれ当時の写真を探すことに。

もう20年ほども前になる1人旅をしていた頃の写真の整理していたら、何とも懐かしい思いが込み上げてきて、だけど当時はまだデジタルカメラでもなくフィルムなので、現像された写真はどんどん色褪せてしまっていて、せっかくだから、この機会にスキャナーに取り込んで、ついでにブログで紹介もしようと思い立ちました。




(誰かに見てもらえると思って作業した方が、スキャナー取り込んで編集する単調な作業も、格段にやる気が出るので!)
時間を見て、これから20年も前のバックパッカーした時の写真をちょこちょこ紹介していけたらと思います。

まずは、チベット

1人旅で心に残っている場所ベスト3に入ると言っても過言でも無いチベット。
今は、鉄道で快適に行けるらしいらしいけど、当時は陸路(闇ルート)か、中国の西安から飛行機で飛ぶ方法でしか行けなかった。

チベットの首都であるラサは、標高3,600m。富士山の頂上とさほど変わらない。
着いてすぐは、軽く高山病(頭痛程度)にかかって、宿でゆっくりしてたっけな〜。

さっそく、写真をアップしていきます。

大学のとき、ゼミの教授のすすめで、20万文字近く(今、ざっと計算したらそうだった)の旅行記を書いてあったので、それも読み合わせていくと、ついこの前のように旅の事を思い出せる気がする。
(この旅行記は、旅行のために授業をたくさん休んだので、出席日数をこれを提出することで、教授がカバーしてくれた気もする)

20万字の旅行記

20万字のなんちゃって旅行記

ポタラ宮殿

ポタラ宮。

ポタラ宮。

↑今ではポタラ宮の中にカフェがあるとか?
当時から観光地化されていたので、今はどうなってるだろう。
ラサの街にそびえるポタラ宮、圧巻です。

地元の人みたいだけど。。

地元の人みたいだけど。。

↑いきなり、緊張感が無いですが、多分、地元の人に写真を撮ってもらったのか、その時一緒に旅していた人に撮ってもらったのか。
服の色のセンスが現地の人っぽい。。。(スカーフは現地で購入)

ガンデン寺

ガンデン寺

ガンデン寺

↑標高4200メートル。

チベットには2週間ほど滞在したので、この頃は少々坂を登っても大丈夫だった。
もちろん、お寺の前まで観光バスでつけてもらったのだけど。

ガンデン寺近くバージョン

デプン寺

デプン寺

デプン寺

↑デプン寺だったかな?と思って、検索したらやっぱりデプン寺だった。

googleで検索したら、行った人のレビューとか出てくるし。。
YouTubeでも、どんどんチベットの動画が出てくる。
時代は変わった。。。20年も経ったらそらそうだけど。

カタをたたむお手伝い
↑デプン寺へは1人で訪問したのだけど、ラマ僧たちにミルクティーをご馳走してもらったり、カタ(チベット仏教で、無病息災を祈るための白い布)をたたむのを手伝わせてもらえました。
ラマ僧は、家族と離れてお寺で修行をするそう。
みんなシャイでピュアな感じで親切だったな。

ラマ僧たち

ラマ僧たち

↑日本人にも似ていて、かといっても中国人っぽくもなく、ちょっとシャイで、何か通じるものがあった気がします。

高校生くらいかな。

高校生くらいかな

↑当時彼らは高校生くらいのように見えた。現在40歳前くらいだろうか。
この時、若いラマ僧はたくさん見かけたけど、中年(失礼)くらいの僧侶には出会わなかった。今頃どういう風に生活してるのかな。

ラサの中心地にあるジョカン寺

ジョカン寺

↑ラサの中心地にあるジョカン寺。
五体投地(体、頭をつけて、お祈りするスタイル)してお祈りされている人もいました。

ラサの中心地。八角街

八角街

八角街

↑ジョカン寺を中心に、その周りにある八角街。
(お土産物屋さんやら、仏具、衣類、食品などが売っている商店街みたいな感じのところ)

チベットの人や中国の人で混沌としていたカオスな状態だった気がする。。
もっと写真撮った気もしてたけど、手元にあったのはコレだけだった。
当時はデジカメじゃなかったので、フィルム切らしてたのかも><。

チベット仏教で欠かせないマニ車

マニ車

マニ車

チベット仏教で、忘れてはいけないのが、「マニ車」。
1回回すと、お経を1回読んだことになり、ぐるぐる回す。
至るところに、大小のマニ車がありました。
いつでも片手で回せる「携帯マニ車」もあったな。

サムイェ寺

サムイェ寺は、この寺を中心に街自体が上から見ると曼荼羅になっているというところ。
ラサからでも結構辺鄙なところにあったけど、宿泊施設もあって(そこで1泊宿泊した)、観光客向けの売店も1つあったのを覚えている。

全然この辺り、写真を撮ってないことにびっくり。。。

サムイェ寺

サムイェ寺

↑肝心のサムイェ寺の写真は無くて、サムイェ寺から歩いていけた砂漠のようなところを撮影。
私の書いた旅行記を見ると、
「宿泊した場所から2時間程度歩いたところに砂丘があった」
とサラリと書いてあるのを見て、今びっくりしてます。。。

そうだ、バックパッカー時代は本当によく歩いた。3ケ月半の旅行で1、2回お気に入りのニューバランスを買い換えた記憶がある。

サムイェ寺に行くまでの道のりにトラックの荷台

サムイェ寺に行くまでの道のりにトラックの荷台

「旅行記」を見ると、ここへ行くのが結構大変だったよう↓

多分、サムイェの醍醐味は、ここまでくる道のりが楽しいのだと思う。
本当は日帰りで行く予定だったのだが、私の乗ったバスはなかなか出発してくれず、しかも出発したかと思うと、故障したり、バスは5時間(行きは8時間)、渡船1時間、トラックの荷台30分という3つの乗り物を使わなければならない。

参照:私が書いた旅行記

そんなところに行ってたんだなーと、うろ覚えの記憶が、写真と旅行記を見ながら思い出されてくる。

チベットからネパールに国境越えするまでの道のり

標高5000m

標高5000m

↑おんぼろバスで国境越えする。この時はトイレ休憩(トイレなんてもちろん無いけど)
標高5000メートル。見えない場所にダッシュするだけで頭が痛くなります。
ウォーリーを探せみたいな服やな。。。多分、チベット入る前に中国あたりで買ったはず。

こんな標高の場所でもタルチョが。

こんな標高の場所でもタルチョが。

↑チベット仏教のお祈りの旗、タルチョがこんな標高の場所もはためいていた。

エベレストが眺められるテングリ

テングリ

テングリ

↑チベットからネパールへの国境越えで通る道沿いに、100mくらいの村?があり、そこで休憩を1時間ほどした。
パオがあって、そこで暮らしているよう。
観光客向けか、国境越えする人が休憩や食事できるお店が少しあった。
なんというか、強烈な印象があった。

テングリをあとにする時、バスに村の人たちが群がってくる。
驚いたのがバスの中に乗っていたラサからきたチベット人の行動だ。
パンをちぎってバスの中からその群がる子供や大人に投げ与えているのだ。
同じチベット人同志だ。それをキャアキャア言いながら投げられるパンをまるでゲームでもしているように楽しそうにてを伸ばす人たち。
ものを与えられることは、彼らテングリの人たちによって素直に嬉しいことなのだろう。
多分、そこには豊かな人へのひけ目とかはなく、その代わりに、なぜ豊かなのに何も与えてくれないのか、という疑問だけなのかもしれない。

参照:私が書いた旅行記

旅行記を見返すと、ここはエベレストが眺めらる場所だったよう。曇りだったけど、エベレストの中腹が見えたと書いてました(記憶が無いけど)。

ティングリの村

家畜のお肉さばき中?

家畜のお肉さばき中?

最後もポタラ宮

ちょっと離れてポタラ宮

ちょっと離れてポタラ宮

今回、バックパッカー旅行をまとめて思ったのは

今やインターネットでいろんな情報が、簡単に手に入って、YouTubeでもチベットの動画とかありすぎるくらいある。
ちょっとやそっと秘境と言われる場所でもwikipediaですぐ調べられるなんて。

思わず、当時全然知らなかったお寺の歴史のこととかをwikipediaで熟読してしまう。

なんだか、バックパッカーの敷居が低くなったというか敷居なんて無いに等しい。

子どもが、もう少し大きくなったら、私気軽にどこでも行けそう。
ハネムーンに世界旅行とか、家族連れで数年間旅行とかする人もそりゃ出てくるわけだな。

子どもがママママと慕ってくれる今、わざわざ1人旅したいなんて思わないけど、あと数年で数日私がいなくても大丈夫そうというのが最近見えてきた気がする。
夫に任せて、旅行に行けるな(夫は海外に全く興味無し)。

仕事もWifiさえあれば、大丈夫だ。

後日、アップ予定。20年前のバックパッカー旅行記

  • ネパール編
  • チベット編
  • インド編
  • バングラディシュ
  • タイ
  • バリ島
  • スリランカ
  • カンボジア
  • 中国、韓国
  • アメリカ(ニューヨーク、ロサンジェルス、ラスベガス)

住んでみたいと思えるマレーシアの写真が一枚も無いことに気づいた・・・。

スポンサーリンク

気軽にフォローしてください♪