1998年のバックパッカー旅行記「インド・バングラディシュ編」

その辺で仲良くなった子どもたち

私が大学3回生の時に行った、バックパッカー旅行の写真、2017年にようやくスキャナで取り込んだものの、4年にわたりそのまま放置していたものをようやくアップ。




4年前書いて、力つきた記事2つ。

1998年のバックパッカー旅行記「チベット編」

1998年のバックパッカー旅行記「ネパール編」

今回は、インド編を書きます。

文章短め。写真メインになります。
今ならスマホ持って動画撮って、YouTube即アップできるんだろうけど、1998年当時スマホどころかインターネットもほとんどなくて、実家とのやりとりは国際電話(オペレーター繋いでくれるバカ高いの)か船便の手紙(届くの2週間とか)だったのが、ほんといつの時代の人間なのかと、年を感じずにはいられない。。

ガンジス川のある聖地バラナシ

日本〜船で中国の上海、雲南省〜杭州?、成都、チベット、ネパール超えて、インドに。

ネパールから超えてすぐ、ガンジス川のあるバラナシに。

ガンジス川

ガンジス川のほとり


 

バラナシ、カルカッタ、ムンバイ、南インドと、南下していって、全部で2週間くらいの滞在でした。
この後、スリランカに行く予定だったのと、大学の夏休みがもう終わるとかで、もっとのんびりしたかったけど、バックパッカーらしからぬ急足で移動。

でも、バラナシが一番印象深かったのか、撮った写真も多いです。

インドのサドゥー(修行者)

インドのサドゥー(修行者)

バラナシの街並

バラナシの街並


 

ガンジスで沐浴する人たち

ガンジスで沐浴する人たち


 

密です(20年以上前)

密です(20年以上前)


 

 

どこの世界も女性の井戸端会議

どこの世界も女性の井戸端会議


 
 
  

ガンジス川にはインド中から人が訪れる

ガンジス川にはインド中から人が訪れる

ガンジス川の対岸は不浄の地といわれていて、バラナシの街は川の西岸にあり、東岸には建物はひとつもありません。

船に乗せてもらったinガンジス川

船に乗せてもらったinガンジス川

 
 

船に乗せてもらったinガンジス川2

船に乗せてもらったinガンジス川2

今思えば、よく一人で船に乗ったもんだ。。

良い人たちで彼らにはいろいろ案内してもらった記憶が。
ヒゲの人は、家族と住んでいるおうちまで見せてもらって、石の床の一部屋にご家族が皆さんいて、おお・・・と思ったっけ。

インドの人と仲良くなって船に乗せてもらったinガンジス川

不浄の地から撮影(だと思う)

多分カルカッタへ行くまでの電車

牛さんは神聖な生き物なので、いろんなところに線路にも

牛さんは神聖な生き物なので、いろんなところに線路にも

牛さんは神聖な生き物なので、いろんなところに線路にも。

そういえばバラナシで暗い路地で一人出歩いているときに、大きい牛に会うとめっちゃ怖かったっけ。

カルカッタのメトロポリタンビルディング

カルカッタのメトロポリタンビルディング

これどこだっけ?と思って、この建物の写真をGoogleの画像検索でググると、一瞬で見つかった!

すごい!画像検索したら出てきた〜。やっぱりカルカッタだった。

20年以上の時を超えて建物名がわかりましたとさ。

ブッダが悟りを開いた場所。ブッダガヤ

ブッダガヤの大菩提寺

ブッダガヤの大菩提寺

なぜかセピアだけど、雰囲気的にセピアのフィルムにしたんだろうなと。(デジカメの時代ではまだまだない)
だけど、後から見るには、カラーの方が絶対いいな。勉強になる。

中の仏様の頭に、きらきら電球が光っていて当時興醒めしたこをなんとなく覚えている。

多分、座って物乞いをしている行列

多分、座って物乞いをしている行列

快く写真を撮らせてもらったおじさま

快く写真を撮らせてもらったおじさま

この頃、私は20歳くらいで若いこともあってか、基本的にみなさん優しく楽しく旅ができたなと。
致命的な危険な目に遭わなかったことは奇跡だと思うけど。

市場のお兄さん

市場のお兄さん

今見ると、今の長男(中2)とさほど年齢が変わらないのかも。

ブッタガヤの近く、スジャータ村

上のブッタガヤのお寺から、近くにスジャータ村があって、おそらくバイクで連れていってもらった。

スジャータとは、釈迦が悟る直前に乳がゆを供養し命を救ったという娘の名前(乳粥供養)。釈迦の苦行放棄のきっかけとなった。

※wikipediaより

その辺で仲良くなった子どもたち

その辺で仲良くなった子どもたち

我ながらいい写真。
すごく良い子だったという記憶がうっすらある。

当時、うちの息子と同い歳くらいかな。
だとしたら、今は30代半ばくらいだろうか。

手に拳銃・・・?

手に拳銃・・・?


シャツがおしゃれでかわいい笑顔。
今写真見て驚いたけど、手に拳銃のおもちゃ??
なんで持ってたか覚えてないけど、危険な目には遭ってない。

なんの記念かわからないけど記念に

なんの記念かわからないけど記念に

今思えば、よくわからない外国人観光客と写真を撮ってくれてありがとう。

松葉杖の男の子は足が悪いようだったな。

仲良し三人

仲良し三人

一番右の子は、今の次男(小2)と同い年くらいかも。
物乞いされたとかは無くて、純粋に好奇心から近づいてくれた覚えが。
本を開いているのは何だろう。

もっと話しておけば良かったな思うし、話してたのかもしれないけど、忘れてしまっただけなのかも。

でもこのスジャータの娘について、彼から少し説明を聞いたのかも、、遠い記憶が蘇るようなないような。

お父さんと息子?

お父さんと息子?

椰子の実のジュースを作っている。
みんな毎日働いている。

飲んであげれば良かったなと(多分飲んでなくて写真撮らしてもらっただけ)。

ーーー

インド印象に残ったこと、つらつらと

こうやって今見返すと、今もしまたこういう旅をしたら、子どもを見たら、すごくいろいろ考えさせられるだろうなと。
当たり前だろうけど、独身のころや自分に子どもがいなかった時とは全然違う視点で、いろんなことを感じるのだろう。。

ずっとカレー味

3食ずっとカレー味。

軽くおやつ感覚で食べるサモサもカレー味。まじで、食事は辛かった。。
しかも辛すぎる。辛すぎて味がわからない。

南インドに行くと、辛さがまろやかになって、お皿がバナナの葉っぱ?とかになったり、チキンビリヤニはおいしかったな〜

カルカッタの中華街でチャーハンとか焼きそばとか美味しかったな。
10円くらいで飲めるラッシーはバカ飲みしたっけ。

物乞いがすごい

カルカッタとか都市部の物乞いは、足がなかったり腕がなかったりして、ふとゴミがあるかと思ったら人だったということもあった。
その時誰かから聞いた話によると、手や足が無い方が、お金をもらえるので、わざと切り落とす人もいるとか。

すごい世界だけど、現実。

私は、お金が無かったのもあったけど、なんと無くあげてはいけない気がして、一度も物乞いに旅行先でお金を渡すことは無かったな。

タイタニックをインドの映画館で見た

ボリウッドと言われるくらい映画産業が盛んらしいインド。
たくさんのインド映画も見て、あのタイタニックもやっていたので日本でも2回見た後だったけど、インドで見たらどんな感じが知りたくて、インドの映画館でも見たのだけど、観客の反応が想像とだいぶ違っていた。

沈没しはじめた船から人が落ちていくシーンがあるのだけど、あそこで爆笑が観客からあがった(!)のがカルチャーショックだった。
しかも沈没するシーンになったら、お客さんが帰っていくという。
(沈没シーンがクライマックスという認識なのか?)

日本では、最後の音楽が終わるまで、誰も席を立たなかったというのに。。

インドでは、あくまで映画は楽しいエンターテイメントなんだろうなと。
悲しい話は不要だぜ!ということなのかな。 
 

そういえば映画館の場所を案内してくれた少年(小学高学年くらいの子)を思い出した。
笑顔で、何かねだることもなく、案内してくれたっけ。

今思うと、何かお礼くらいしてあげたら良かったと親心に思うのでした。
 

バングラディシュ

カルカッタから、当初は陸路でダッカに入る予定だったけれど、紛争だったか、洪水の影響で、飛行機で入国。
ほとんど写真がないけれど。バングラディッシュの記憶といえば、リキシャーが多かったのと、あまりの暑さで、体調を壊して、夜中、喉がカラカラなのに、飲むものがなくて、本気で水道の水をがぶ飲みしようかと思ったのと(飲んだらかなりヤバいはず)、冷たいめんつゆにうどんの味を脳内で思い出して、10万円位払ったら一気に飛行機で日本に帰ってしまえるなら、帰ろうかという考えが一瞬よぎった。

大きな道路ほぼリキシャーだったことも多々あった

大きな道路ほぼリキシャーだったことも多々あった


 
 
なんかのデモかな?

なんかのデモかな?


もしかしたらインドの写真かもしれない。。

 世界最長の天然の砂浜があるコックスバザール

世界最長の天然の砂浜があるコックスバザール

後日、アップ予定。20年前のバックパッカー旅行記

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